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病院でもらった薬はよく効いた。
翌朝熱は無かったことのように下がり昨日に比べると体も嘘のように軽かった。
腹には厳しい世界からの使者の記憶だろうか違和感が少し残っているが痛みはない。

今日の予定はというと午前に新規の隊員2名が任地訪問調査というものでシモイオに来るのでその出迎えをし、家を新隊員に3日間ほど貸すために鍵を渡す。
明日のために午後のシャパでベイラに移動し先輩隊員の家に1泊させてもらう。
シモイオからタンザニア行きの飛行機は出ていないのでタンザニアに行くには国内での移動が必要になってくる。
ベイラはモザンビーク第2の都市でシモイオからも近くシャパで3時間程度の距離だ。

任地訪問調査の時は配属先が空港へ迎えに行くことになっている。
迎えの件については昨日のうちに校長と確認したし、まだ見ぬ新隊員S君を学校で迎えようとドキドキしながら家を出た。
学校へ着くといつものように生徒、先生と上司たちとあいさつを交わした。
ん、ちょっと待てよ。
「シェフィ(上司の意)!何でここにいるの?新隊員迎えに行くんじゃなかった?」
「そうなんだよ。車ちゃんと用意してあるよ。」
自慢げに言われてもこまるんだよなぁ。
「時間言ったでしょ。もう着いちゃってるよ。」
「ほんとか!すぐ行かなきゃ。ノビも行くか。」
「すぐ行こう。」
「ちょっと待って、今運転手を呼ぶから。」
威勢がいいのか何なのかよくわからない状態で出発。
車の中で新隊員の名前の確認をしながら空港へ向かった。
どうも日本人の名前の発音は難しいみたいだ。
自分の名前をしっかり呼んでくれるモザン人は数えるくらいしかいないだろう。
だいたいが「ノビ」か「ノヴェル」と呼ぶ、「Nobu」と書いてノブって名前ですなんて言ったところで結果は同じだ。
当たり前のように人の名前を変えてくる。
最近では私の新しい名前が増えた。
「ノヴォス」
「s」の発音はどこから持ってきたのか不思議でたまらない。
たぶん知人にセニョール・ノヴォスがいるのだろう。
深くは聞かないようにしている。
深く聞いて名前を訂正したところで結果は同じことになるだろうから。

モザンビーク、いや多くのアフリカ諸国に言えることだろうが時間に対してルーズである。
先輩隊員帰国の時に一緒に空港へ行った時のことを思い出した。
待てども待てども来ない配属先(教育大学)の車。
遅れてきたのはいいが教育大学の校長から蜂蜜を首都へ運んでくれと言われる先輩。
だけど蜂蜜は車の中に無くこれから取りに行くという。
蜂蜜を取りに行ったはいいがなかなか帰ってこない。
これは遅れるなと思って空港に着くと飛行機も遅れていた。
教育大学と航空会社はグルなんじゃないかと思うくらいだいたいのことは遅れがちだ。
全部が全部遅れてくれればまだわかりやすいのだが、たまにそれを見越して遅れていくと予定どおりに開始されていて。
「なんで遅れたんだ。昨日は夜遅くまで飲んでたんだろう。」
なんてことを言われるからたまったもんじゃない。
「普段時間どおりに行ってる貯金があるだろう。」
と言いたい気分になる。

30分S君を空港で待たせ車は空港に到着。
再度、教頭に新隊員の名前を聞かれる。
簡単なあいさつを済ませ荷物を置くために同期隊員の待つ自宅へ向かった。
初対面の新隊員、これから1年5か月間寝食を共にし同じ職場で働くことになる。
ゆっくり市内を案内したり学校の先生たちを紹介したかったが時間がなかったので校長と教頭、それにAmadeuや化学の先生たちを少し紹介して昼ごはんに行くことにした。

場所は行きつけのレストラン「シェイリーニョ」
ここはメニューも豊富で軽食から肉・魚料理まで食べることができる。
いろいろな物が食べれるとS君にお勧めして自分はこの店の看板メニューでもある「ロウリーニョ」とファンタオレンジを注文した。
S君は迷わずハンバーガーを注文。
少し変わっているなと感じながらも「ここにきてハンバーガーって!」とつっこむことはしなかった。
今でも彼はシェイリーニョのことをハンバーガー屋と呼んでいる。

昼食後、一度家に戻り荷物を持って市中心街のシャパ乗り場まで行った。
まだまだベイラ行きのシャパはある。
長距離シャパは1日1本しか出ていない路線も数多くあるがシモイオ-ベイラ間は夕方5時くらいまで運行している。
以前に一緒に住んでいた先輩と行ったことがあるので不安は無かった。
3時間のシャパ移動。
人や荷物がぎゅうぎゅうに詰まって窮屈な車内だが3時間くらいだったらひと眠りしたらすぐ到着だ。
幸い私はどこでもすぐ寝れる体質だ、その力は長距離移動時に発揮される。
日本からモザンビークまで飛行機での合計移動時間は18時間くらいあるのだがそのほとんどを寝ていたので記憶にないくらいだ。
ただし条件がある、横によりかかれるものがあること。
首が固定されないとなかなか寝ることができない。
この点は窓側の席であったら問題なくクリアできるのだが、みんなが窓側を望むためそう毎度窓側に巡り合えるということはない。
ただモザンビークではふくよかなお母さんたちが多いため「首を固定する」という問題を中央の席でもクリアする。
固い窓に頭をもたれているよりもお母さんたちの肩や腕が柔らかい枕になってくれることの方がいいに決まっている。
今回は惜しくもお母さんの隣というスペシャルシートを逃してしまったが窓側に座ることができた。
シャパの中のことは寝ていたためよく覚えていない。
夕方に目が覚めると都会ベイラに着いていた。
ベイラに着くと泊めてもらう先輩に今から向かうという連絡をし、市内巡行シャパ乗り場へ向かった。
一度来たことがある街で一度泊めてもらった先輩の家なので記憶をたどりながらなんとか到着することができた。
胸にはメダルのひとつもなく長距離シャパでの疲労で一杯だったが自分で自分をほめたい気分になる。

明日は搭乗手続きなどをするためにフライト2時間前に到着しておかなければならないと航空会社に言われているので朝が早い。
朝5時には空港についていなくてはいけないのだ。
そんな時間からモザン人が働いているのかと半信半疑でいたが、遅れてしまってはせっかくの国外旅行のスタートが台無しになってしまう可能性があるので是が非にでも時間どおりに行動したい。

先輩たちはとても温かかった。
モザンビーク隊員の間では共同生活は難しいという言い伝えがあるが、ベイラの2人は共同生活をしている唯一のグループだ。
2010年7月8日現在、一緒に暮らしていた先輩は帰国してしまったため私は一人暮らし組に分類される。
モザンビークに帰ってきたらすぐにS君との共同生活が始まるのだが。

外食は時間がかかるのでと手料理を振る舞ってくれ、さらに朝早く出るのでタクシーの手配・お弁当にお稲荷さんを持たせてくれた。
このままずっとベイラにいたいと思った。
が、目覚ましをセットし少し早めに入ったベッドの中では明日から行くキリマンジャロのことで頭がいっぱいだった。
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長期の休みに入る前にやらなければいけない仕事があった。
今になっては何の仕事だったのか思い出すことすらできないが確かにあった。
たぶん実験授業の準備だったのだろう。
前日から徹夜で朝までかかって無事終わらせ朝食は取らずに学校へ登校。

昔からなんでも手をつけるのが遅い私は今でも変わっていない。
「追い込まれてからの俺の追い込みはすごい。」
なんてかっこいいように言うが、いつも不完全燃焼に終わることが多いうえにただの言い訳でしかなく毎回同じことを口にしている。
もっと早くからやっておくべきだった。
わかっているのだから直せばいいものなのだが性格とはそう簡単に変わってくれず10年20年先もこうなのかと考えるとため息が出てしまう。

実験を終わらせ同僚教師の授業見学の後、昼に帰宅する予定だった。
帰ったらすぐ寝よう!
そう思いながら今日の計画を立てる。
夕方には同期のAが家に来るから16時くらいまで寝てそれから旅行の準備をして明日に備えておけばいいだろう。
朝の反省を生かし早くからの準備を計画する。
自分自身の成長を感じて少しうれしくなってしまった。
今日の俺はなにかが違う。

帰宅してる途中寝る前に何か食べておいたいなんてことを考えていた。
でも自分でこれから作るのは面倒くさいし、早くぐっすり寝たいので腹には何か入れておきたい。
外で何か食べようといつも行くメルカドのバラッカ(「定食屋」といってもメニューは多くない)に駆け込む。
常連なので店員さんとも仲が良い。
「ノヴェル元気?最近見なかったけど。」
店員のねーちゃんが元気に声をかけてくる。
名前をいつも間違えるが直しても直しても間違えるのでもう訂正することはしない。
席に着くなりしっかり名前を呼んでくれる店員を呼ぶ
「ピーター、いつもので。それにファンタ。」

ピーターは18歳の高校生でありながら昼間はバラッカで働き、夜は学校へ行っている1児の父だ。
一度仕事をくれないかと相談されたことがある。
仕事をするために12年生を卒業したいんだと娘を抱える彼に言われた。
赤ちゃんを抱えて働いている彼に俺は聞いた。
「奥さんは今なにしているの?赤ちゃんを置いてどこにいるの?」
「奥さんは今学校に行ってるんだ、同じ学校の9年生で…」
それから先は聞き取れなかったのか頭の中に入ってこなかった。
自業自得じゃないか。
「今うちにはお手伝いさんとガードマンがいて仕事をあげることはできないんだ。まず第一にあなたは家族のことを考えなくてはいけない。子どもや奥さんのことをね。その次に学校を卒業することや自分のことを考えよう。」
そういって仕事の話は断った。
再び彼に会ったとき、素晴らしい笑顔で「ノブ、元気か?」正しい名前で呼んでくれるようになっていた。
その一件以来、俺がその店に行った時は彼を呼んで注文するようにしている。

出てきたものはよく食べている鶏のから揚げとご飯にトマトスープをかけたようなもの。
安い早いそこそこ旨い。
完璧な三拍子は揃わないが文句はない。
ピーターと話しながら食事をする。
ふとから揚げに目をやると中が少し生焼けの状態だった。
「ピーター、中がまだ生みたいだからもう一回揚げてもらって良い?」
明日からは待ちに待った旅行だ。万が一にもなにかあってはいけない。
よく気がついた。
今日の俺は何かが違う。
徹夜のせいで決して具合が良いとは言えないが頭は冴えている。
寝不足の時というのはこういうものなのかもしれない。
自分そのものを客観的に見れる自分がいる気がする。
そんなことを考えていると二度揚げされた唐揚げが到着。
昼飯の再開。

食べ終わると代金を払って家路を急ぐ。
食欲を満たされると決まったように眠気が襲ってくる。
脳の中では食欲と睡眠欲を司る部分は隣りあっているのだろう。
きっとそうに違いない。
いつも歩いている道だがやけに家が遠く感じる。
良い兆候だ。
良い睡眠がとれそうだ。

家に着くと寝る準備に入る。
しっかり家の鍵をかけ寝過ぎてもいけないのでしっかり16時に目覚ましをセットしてソファーに毛布を持って行き準備完了。
明日からの旅行のことを考えながらソファーに横になっていると気づかないうちに寝てしまっていた。

あっという間に目覚ましが鳴り、現実世界に引き戻された。
「16時か。」
寝ぼけながらも時計を確認。
寝ぼけているせいなのか寝不足がたたっているのか、体に異変を感じた。
徹夜明けはいつもこんなもんだ。
キッチンへ行ってのどの渇きを潤し、同期がまだ来てないことを確認してもう少し寝ることにした。
旅行の準備は夕食後にやればいい。
時間だってそんなにかかるもんじゃない。
そう思いもう一度ソファーに横になる。

どれくらい時間が経っただろうか。
いくらも経っていなかったのかもしれない。
小さく俺を呼ぶ声がする。
再び現実世界に引き戻される。
横になった状態で耳を澄ますと確かに俺を呼ぶ声が聞こえた。
聞きなれた声。同期のAだ。
そう思いソファーから飛び起きた。
が、体がおかしい。
重い体を引きずるように外に出て塀の門を開け中にAを招く。

「ちょっと調子が悪いからもう少し寝るわ。」
そう言い残し再び横になる。
これくらいの風邪であれば明日には治る。
キリマンジャロは10日からだから問題ないだろう。
そんなことを考えていた。


激しい腹痛で目が覚めた。
きっと現実世界というものは猫の手を借りたいほど厳しい世界なのだろう。
仕事を終わらせて明日から旅行へ行こうとしている者を呼ぶのだから。

それ以降は詳しく覚えていない。
熱も上がり意識も朦朧としていた。
確かに覚えていることは腹痛のせいで「なにこれー」しか言えなくなりAに病院へ連れて行ってもらったこと、病院での診察は少し話をしてマラリア検査の結果が出る前にマラリアと診断するというとてもくだらないものだったということ、これは旅行に行けないなという考えが頭をよぎったということ、今日の俺は確かに何かが違ったことくらいだ。

井戸での水くみ特訓中

私、ただ今一人暮らしをしております。
というのも、先輩が任期満了で帰国してしまったからなんです。
一人は少しさびしいですね。
日本語をしゃべる機会が格段に減りました。

ご飯もなんか適当になってしまうし…

Davidがいてくれるので会話して夜は過ごしています。
今日はDavidの若き日の冒険話を聞きました。
84年内戦のあったころの話で
笑いあり涙ありでとても楽しく話を聞かせてもらいました。

文才がなく喋りもへたな私にはブログを通じて
読んでくれている皆さんに伝えることができないのが残念です。

そして今月中に引っ越しが決まりました。
新しい家は学校のすぐ近くで「離れ」に住むことになります。

こっちの大きな一軒家には離れが付属していることが多く
そこを他の人に貸したり、親戚が住んだりするようです。

新居
これが新居

前のメインの家には人が住んでいて昼間も人がいるので今の家より断然安全です。
鉄格子もしっかりあって、水も出るし、部屋だって3部屋+居間、風呂トイレキッチン。
十分すぎるくらいですね。
何より学校が近くなるのがありがたい。

Amadeu
家を紹介してくれたのは彼
Amadeu先生です。良い笑顔。眉毛を剃った不良生徒ではありません。
物理の先生で歳も私と同じ年でよく一緒に行動しています。
新しい家は彼の叔母の家。

7月30日に引っ越しになりそうで、
その前に急ですがタンザニア旅行に行ってきます。
目的はタイトルにもなってるとおりキリマンジャロ登山!!
なんとか登頂をしたい!
同期と他の市に住んでいる先輩と3人で行ってきます。

それではまた。

メティカイス  Professores de Física
左:モザンビークのお札、表に描かれているのは我が校の名前にもなっている初代大統領のSamora M.Machel
右:独立記念日に物理科の同僚と市から少し離れたところで飲み会…写真の後、私とAmadeuは酔い潰れてしまいました。

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